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肉体の拘束は精神を支配する

  • 執筆者の写真: Hiroko
    Hiroko
  • 2021年11月18日
  • 読了時間: 5分

執筆者:Hiroko


<拘束>はファッション史を語る上で必ず出てくるキーワードだ。

ハイヒールもコルセット、ボンテージファッションも、体の自然な動きや機能を制限して美しさを表現する。

圧迫感があり身体にとっては苦痛のほうが大きいのに、なぜ私たちは拘束にこだわるのか。



肉体の拘束


私たちが日常的に身につけているベルトやネクタイ、スカーフ、タイトスカートにジャケットなど、どれをとっても拘束性がある。


が、拘束ファッションがもっとも象徴的なのは19世紀のヴィクトリア朝の時代だろう。コルセットで締め上げられた砂時計のようなラインが美しいとされた。(この概念は現代とさほど変わらない)

肋骨が変形するまで締めていたので呼吸は浅く、失神する女性が続出した。長期の締め付けが原因で内臓病やうつ病、頭痛が深刻化し、早死にする女性が絶えなかったという。

それでも女性たちはコルセットの紐を緩めなかったし、医者も反コルセットを唱えることをどこかためらったと言う。


ところ変わって中国では、纏足という風習がある。

小さな女の子の足を折り曲げて布で固定し、纏足用の靴下と靴を履かせ、足の成長を抑制させる習慣だ。

足のサイズは全長約9cmが理想とされ、成人後も縛り続けるので、足は動物のひずめのような形状になる。理想的な纏足には、三寸金蓮(サンツンジンリエン)という美称が与えられ、黒髪、白肌と並ぶ女性美の代名詞と言われた。

この纏足の形状は、ハイヒールと酷似している。


纏足が広まった理由は、ヨチヨチ歩く小さな足が男性の性的な欲望の対象だったからだ。

弱々しく頼りなさげに歩く女性の姿は優雅だとされた。

足裏に力が入らないぶん、骨盤や股関節が発達して膣圧がかかるという俗説もあったらしいが、男性にとってもっとも都合がよかったのは、歩行困難なため女性が家から逃げ出せなかったことだ。


物理的に逃げられないようにすれば、心も支配できると考えていたのだろうか。



精神の拘束


拘束が精神に影響を及ぼすことを読み解くため、象徴的な例を2つ紹介したい。


古代ユダヤ人女性の装い

女性の行動に制限をつけたり装飾品で着飾らせたりしても、結局のところ手なづけることができないのではないかと考えた男性たちは、無愛想な服を着せるという行動にでた。


古代ユダヤ人の女性のファッションは、服装史ではほとんど語られることがない。私も学生の頃から何冊も服装史の本を読んできたが目にした覚えがない。理由はこうだ。


「戸外での女性の姿ときたら、不思議な形をした包みが置かれているとしか思えないほどぶざまなものであったからだ。

(中略)

そのうえ両足は鎖でつながれており、「その鎖をつけていると狭い歩幅でヨチヨチと歩かなければならない」といった作用をはたした。」*1


これは古代ユダヤの女性が外を歩いている様子を書いたものだ。

このぶざまな布を巻きつけ鎖までさせる格好は非常に隷属的だが、その結果このうえないほど男性たちを興奮させるドレスアップとなった。


理由は、”音”。

女性たちはスカートの下に鈴を忍ばせていたのだ。


「だが、道でこうした女性とすれ違うとき、男たちは身震いするほどの興奮を覚えたのである。目を閉じていても彼女の魅力から逃れることはできなかった。じっさいに盲人ですら女性のとりこになってしまったのである。なぜならその魅力は耳に聞こえてくる性質のものであったからだ。その音というのは、女性がスカートの下につけている鈴の音なのであった。」*2


支配したいがために拘束しボロ布で覆い隠くしたのに、逆に興奮のタネにしてしまった。



精神病患者の濡れたシーツ


<拘束>が興奮をかきたてる一方で、興奮を抑えることもある。


かつて精神病院では、重症の患者を濡れたシーツで包んでしまうことがあった。湿った袋のような容器に入れて身動きがとれないようにさせる方法だ。これは非人道的だと避難される一方で、理にかなった側面もあった。


「親は、子供がひどいかんしゃくを起こすと、自分の身体にしっかり抱きしめることがよくあるが、直感的に、似たようなことをしているのである。すなわち親は、自分の身体を子供に与えて、子供が自分では統制できないでいるその外縁を強化してやっているのである。」*3


拘束は皮膚感覚を敏感にする。感覚を敏感にさせたり覚醒させたりする一方で、包み込み安心感を与える場合もあるのだ。


SMが拘束で精神の繋がりを深めていくのと似ている。



気がついたら支配されていた


古代ユダヤの男性のように、支配しようとしたが”気がついたら支配されていた”というオチの小説は多い。


谷崎潤一郎の『痴人の愛』が代表的だ。

美人な家出娘ナオミ(15歳)を自分好みに育てようと同居をはじめた譲治(28歳)は、欲しがるものをなんでも与えた結果、気がつけば自分が下僕になっていた。


裏切られても、皮肉に鼻で笑われても不思議と離れることができない。

出て行ったナオミの膝に泣きながらすがりつき、戻ってきてくれないなら己を殺してくれ、殺してくれないなら己を馬にしてくれるだけでいいと発狂する。


最後に譲治は堪忍してこう語る。

「浮気な奴だ、我が儘な奴だと思えば思うほど、一層可愛さがまして来て、彼女の罠に陥ってしまう。ですから私は、怒れば尚更自分の負けになることを悟っているのです。」*4


何をやっても支配できない。だから惹かれる。


侮辱と愛情は紙一重。


谷崎潤一郎の悪魔主義最高傑作と称された痴人の愛。ナオミのファムファタル魅力については、別の機会に....





引用元:

*1 筑摩書房『モードの迷宮』鷲田清一

*2 鹿島出版界『みっともない人体』バーナード・ルドフスキー

*3 誠信書房『からだの意識』サイモン・H・フィッシャー

*4新潮文庫『痴人の愛』谷崎潤一郎


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