カボチャの煮物
- Hiroko
- 2022年6月9日
- 読了時間: 2分
執筆者:Hiroko
上京したての二十歳の頃。
半年に一度のペースで娘の生存確認のため北海道から母が来ていた。
北海道の銘菓や空港で買ったカニ弁当を、持ちきれないほどぶら下げてやって来る。
6畳ワンルームのマンションにお土産を並べ、到着した夜はお弁当を一緒に食べるのが恒例だった。
「お弁当だけじゃあれだしね」
と、冷蔵庫の残り物で味噌汁やらを作ってくれるのだが、到着飯の定番はカボチャの煮物だった。

食に関するエッセイを読むのが好きだ。
高峰秀子『台所のオーケストラ』、平松洋子『サンドウィッチは銀座で』、角田光代と河野丈洋『もう一杯だけ飲んで帰ろう。』
読むだけでよだれが出てきてしまうほど食事そのものを巧みに表現しているおいしい文章もあれば、食事を囲んでいる風景や空気を感じられるものもある。
食エッセイの中でもとりわけ気に入っているのが、高山なおみの『帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。』
日々のエッセイと、その情景を表す料理レシピが32種類載っている。
悲しい時に食べたもの
プロローグで、人はなぜ悲しい時でもお腹がすいて食事ができてしまうのか、なぜそういう時に食べた食べ物を、また食べたくなってしまうのか、と語っている。
死が迫っている父の病室で食べたお弁当やミートボール、病院から帰る新幹線で食べたサンドウィッチを想像しながら、私の悲しい時に食べた思い出の味ってなんだろうと考えると、カボチャの煮物が浮かんだ。
当時の私はあるアパレルブランドのデザイナーアシスタントをしていた。
15年前は働き方改革なんて言葉もない時代。残業だらけのブラック企業で展示会前は夜中まで働くのが当たり前だった。
若くて体力があるとはいえ、毎日終電までの残業と慣れない仕事、厳しい先輩たちに少しずつ精神が蝕まれていく。
心のダムが欠壊ギリギリのラインになると虫のしらせを受けたかのように母から電話が鳴り「安い飛行機チケットがとれたの。お母さん来月東京遊びに行くからね〜!」と言うのだ。
そして到着飯の定番カボチャの煮物。
鍋一杯につくるものだから二人では食べきれず、タッパーに入れてお弁当に持っていく。
布と洋服サンプルにまみれたほこりっぽい事務所で、お昼に食べたカボチャの煮物。
思い出すのは、高級寿司でもフレンチのコース料理でもなく、こういうときに食べた料理だ。
そういえば、しばらくカボチャの煮物を食べてなかった。
今夜は最近疲れ気味の夫にカボチャの煮物を作っておこうか。
引用元:
文春文庫『帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。』高山なおみ
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