執筆者:Naoko
霊的な存在を信じるかと聞かれたら、「信じる」というよりも、「感じる時がある」もしくは「見てしまうことがある」と答えるようにしている。
「信じる」という言葉は、どこか思想や信念など形がないもの、目には見えない概念のようなものを確実なものとして捉えるような言葉だと感じるから、すでに感じてしまったり、見てしまったりしているので、それが仮に脳が生み出す幻覚・幻影の類であっても、「信じる」ということと、既に体験しているということに大きな隔たりがあるような気がして、前述のように回答することが多い。

そして「感じる時がある」や「見てしまうことがある」と答えたことにより、問いかけた人は、その時恐怖を感じたか否か、嫌な感覚になったか、または世にも悍ましい姿をしているに違いないと決めつけているためなのか、どのようなシチュエーションで現れ、どのような容貌をしていたのか?、それを見てどのように感じたのか等、霊的な体験を事細かに聞かれることが多い。
実際のところ霊は恐ろしいのか、恐ろしくないのか
先日、旅をテーマした対談の中で取り上げたソフィア・サマターの『図書館島』を読んでいて私の中で、「怖れ」に関して一つの気付きがあった。
『図書館島』の主人公は、病気で亡くなった少女の霊に苛まれて、夜な夜な魘され、霊のビジョンを見る・感じる能力により、旅先で査問にかけられたり、閉鎖病棟のような塔に閉じ込められたり、あるいは聖者扱いされたりと、人生を搔き乱す存在として表現されており、主人公は幽霊に恐怖と怒りを感じている。
私自身の今までの様々あった体験を振り返ってみると、霊を怖い時と感じている時と反対に怖くないと感じている時があるのだが、この差は一体なんだろう、と紐解いてみたくなった。
怖くない幽霊
まずは、怖くない幽霊について。
[怖くない幽霊の特徴]
①街中の昼間でも、時間帯に関係なく現れる。
②どこにでもいるような普通の人のように見える。
サラリーマン風、OL風、年金生活の高齢者風など様々。
③私が見たその時は、人間だと思っており、状況判断からして幽霊だったと気が付く。
④お互いにお互いのことをあまり意識していない。
例えば、2,3年前の話。
上りのエスカレータに乗っていた際、私の真後ろに立った年配の男性。
平日の昼間で、人通りも少なかったが、エスカレータの横の壁が鏡になっており、その年配の男性の位置や服装が良く見えた。
ベージュでコットンの中折れハットのような帽子、チェックの長袖シャツ、やはりベージュのコットンベスト。やせ型の男性。
何故私のすぐ後ろに?と疑問を感じつつ、エスカレータは一列タイプのものだったため、彼が急いでいて私のせいで邪魔になって進めないのかと思い、降りる数段前からエスカレータ駆け登ったが、年配の男性がその後、追いかけてくるでもなく、私の後ろには誰もいなかった。
後から、あれは霊だったんだ、と理解したが、怖いというよりも不思議なのと、こんなに詳細に姿が確認できるほどにビジブルだったのが印象的だった。
恐ろしい幽霊
こちらは、一般的に皆様が期待する幽霊。
[怖い幽霊の特徴]
①理由はわからないが、夜、家の中などのプライベートスペースに現れる。
②もう人の姿はとどめておらず、黒い靄だったり、意識体のような不定形のもの。
(亡くなってからだいぶ時を経ている可能性あり。)
③特定の人がいる時は現れないことが多い。
④自分に悪意があるように感じられる。
⑤あちらから接触してこようとする。
大学生の頃、多摩ニュータウンの新築のマンションに住んでいた時の話。
阪神大震災があった年、私は大学入学の年だったが、不仲だった両親が別居し、私は母と共に、多摩ニュータウンの新築のマンションに引っ越しをした。
しかし母は医療職で、春から阪神大戦災の被災者のケアを行う必要があり、神戸への赴任が決まっていた。
大学に入りたてだったし、友人・知人もいない見知らぬ土地で、広い新築のマンションに1人住むことになってしまい、不安感が募っていたある日、黒い背の高い靄のような存在が、家の中にいることに気付いた。
黒い靄は、たいていリビングと私の部屋を行き来していて、常ではないが、大体私のくっついてくるかのような行動パターンが見られた。
私が家の外に出るとついてくることはなく、どうやらその土地に根付く地縛霊のようだったが、背が高いこと、黒い靄のようなものであること、そして、生者への嫉妬と憎悪のようなものを私に向けてくることを感じていた。
家に遊びに訪れた霊感のある友人も同じものを感じており、我が家に宿泊すると夜中に金縛りにあったり、悪夢を見たりすることもしばしばであった。
尚、母が時折、神戸から多摩ニュータウンのマンションに戻ると、黒い靄は姿を隠すようだった。
ここでは省略するが、母が家にいない時にあった怪異な出来事の数々で、少し精神的に参ってしまった時期もあった。
ようやく三年後、そのマンションから出て、母と都心に移り住み安心していたところ、新居を得た私たちの元に半年後、1本の電話があった。その電話は、前のマンションの電話番号から転送されているようだったのだが、前に住んでいた問題のマンションの管理室からの電話であった。
私たちが住んでいたマンションの部屋が騒音で酷く煩いというクレームの電話だった。
母が、もうすでに半年前に引っ越してしまったことを話すと、管理人も騒音があったのはここ数日であるとのことで、非常に不思議がっていたことを覚えている。
これは黒い靄のような奴の仕業なのかもしれない、そう直感的に感じた。
「怖れ」の正体
この二つの幽霊のエピソードは、どちらも私が経験した話なのだが、『図書館島』を通して気付いたこととしては、意識をこちらに向けてくる、接触しようとしてくる幽霊は正直怖いということなのだろう。
良く生霊の方が怖い、ということをおっしゃる方がいるが、これはより意識を強く自分に向けられているからこその怖さなんだと思う。
エスカレータで見た初老の男性の幽霊は、私の真後ろに立ったものの、私には興味はなくたまたま立っただけで、彼に意識は向けられていないから、互いに通行人Aのような存在であり怖い存在ではない。私がたまたま初老の男性の霊を見てしまった、それだけの話なのだ。
『図書館島』の少女の霊は、主人公に自分について本を書くように、毎晩迫ってくる粘着質の霊である。私も黒い靄には三年間悩まされ続け、ある種の執着のようなものを感じた。
ホラー映画でも霊は粘着質でとにかくしつこいタイプが多く、やたらに絡んでくるので怖いのだろう。
本日紹介した『図書館島』は、タイトルと内容が乖離している、異世界の話で訳が分からない等、賛否両論あるが、壮大で美麗な叙事詩のような小説であり、詳しくは、こちらの対談を読んでいただければと思う。
今日は、小説の話がメインではなく、幽霊の話ばかりになってしまったが、酷暑が続いているので、許してほしい。
少しでもこの話で涼しくなれば、と願う。
参照元:東京創元社『図書館島』ソフィア・サマター
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