美しさとは怖ろしさ
- Hiroko
- 2021年10月30日
- 読了時間: 3分
執筆者:Hiroko
残忍な悪党ですら自分のすべてを受けれてくれる”運命の人”は必ずいる、と心のどこかで信じている。
悪党であればあるほど、”運命の人”を待ち望んでいるのかもしれない。

その”運命の人”は幸福を導く女神なら問題ないが、恋心をよせる男の歯車を狂わし破滅させる妖魔的魅力を備えた女もいる。
その女を、ファム・ファタルという。
ファム・ファタルはサロメやカルメン、日本では谷崎文学にも多く登場する。
ビアズリーやクリムトといった幻想絵画でも頻繁にモチーフにされてきた。
今回は、『桜の森の満開の下』坂口安吾 に登場するファム・ファタルの話をしていきたい。
ーあらすじー
江戸時代よりもっと前、桜の花は美しいものではなく怖ろしいものだと思われていました。満開の桜の花の下を通ると、気がおかしくなってしまうんだそうです。
あるとき、旅人らを殺してお金や着物を奪う山賊が、桜の森のある山に住み始めました。
その山賊ですら、満開の桜は気味が悪いを思っていました。
ある日、八人目の女房をさらってきました。その女はとても美しく、男は女のいうことならなんでも聞いて望みを叶えます。
綺麗な着物に豪華な食事、他の女を殺せと言えばすべて殺してしまいます。
女は都へ住みたいと言います。都に移った女は、男に毎日様々な人を殺させ、生首遊びを楽しみます。
都の生活が性に合わない男は、山に帰ろうとします。
女は男がいないと生きていけないので、一緒に山へ帰ります。
山へ帰ると、桜の花が満開の時期でした。
女をおんぶして満開の桜の下を通ると、女の手が急に冷たくなっています。
女は鬼だったのです。
女は男の首を絞めようとし、男は必死で抵抗し鬼を殺します。そこには女の死体がありました。男ははじめて涙を流します。
もう一度みると女の死体はなく、花びらしかありません。
男の手も体も消えてしまい、花びらと冷たい空虚がはりつめるばかりでした。
この物語は男の心情の変化が軸にあるが、美しさとは怖ろしい、ということを全体を通して伝えている。
男にはまったく価値がわからない着物や紅を女はあまりにも大切にするので、「こんなものがなぁ」と関心を持ち出すし、知らない世界があることを認識しだす。
女が都に移りたいと言うたび、男は怯えるようになる。知らない世界には羞恥と不安がつきものだが、男は目に見えるものを恐れたことがなかったので、恐れや恥という感情に慣れていない。
ついに都に移り住んだ男は、女に命じられるままに邸宅に忍び込んで着物や宝石を持ち出すが、女が本当に欲しかったのはその家に住む人の首。
女の首遊びのために何人殺したかもうわからないが、そんなことは気にならなくなっていた。
男は女の美しさに翻弄されるあまり、怖ろしさを感じられなくなっていた。
女を家に連れ帰って今までの妻を殺したとき、こんな描写がある。
「目も魂も自然に女の美しさに吸い寄せられて動かなくなってしまいました。けれども男は不安でした。どういう不安だか、なぜ、不安だか、何が、不安だか、彼には分からぬのです。女が美しすぎて、彼の魂がそれに吸い寄せられていたので、胸の不安の波立ちをさして気にせずいられただけです。
なんだか似ているようだな、と彼は思いました。あれだ。と気がつくと彼はびっくりしました。
桜の森の満開の下です。」*1
女は男にとって世界を広げてくれた”運命の人”であることに変わりはない。
人は自分の知らない世界を教えてくれた相手に心を惹かれるものだが、それが幸せかは別の話だ。
世界は広い、そして自分は小さい。
この小説は、森見登美彦が現代版にリメイクしている。
こちらもなかなか面白いのでぜひ読み比べてみてほしい。
引用元:*1 筑摩書房『桜の森の満開の下』坂口安吾
祥伝社文庫『新訳走れメロス他四編』森見登美彦 (こちらに収録されています。)
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