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ファム・ファタルの最期

  • 執筆者の写真: Naoko
    Naoko
  • 2022年2月17日
  • 読了時間: 5分

執筆者:Naoko


ファム・ファタル - 出逢った人々を魅了し、そして翻弄し、関わった男の身を破滅させてしまう危険な女。

本人は意図はしておらず、一種の磁力を発して、周りの人々を巻き込み、不可逆的に狂わせられてしまう存在。

かつて我儘な彼女に惑わされた男性は、その後別の女性との幸せな結婚生活を送っていたとしても、過ぎ来し方のファム・ファタルが心の中に熾火のように燻っていたりするだろう。



古往今来、実在の人物でも創作物としてのファム・ファタルも数多。

ファム・ファタルは、”人”ではなく、もはや普遍の”テーマ”なのかもしれない。


野溝七生子の『女獣心理』では、ファム・ファタルがある幸せな男女やその家族や友人の前に現れ、狂おしく果ててゆく物語。


芸術的な感性と翳りのある女性、征矢(ソヤ 通称:レダ、マドモアゼル・レダ)。

美術学校で同級だった沙子(スナコ 通称:シャコ)は、彼女に尊敬と憧憬を通り越して崇拝していた。

いいなづけで従兄の塁(トリデ 通称:ルイ)の視点で物語は進行する。

レダが現れてから、徐々に婚約者の沙子との関係性も徐々に複雑に変化していく。


征矢が何故レダと呼ばれているかの由来は、美術学校時代の卒業制作で、白鳥に化けたゼウスと交わった女神レダを自らをモデルとし、模写していたからだった。

レダと白鳥をモチーフにしたの卒業制作は、彼女の自尊心と自己愛を究極的に高めた作品であり、征矢にとっても代表作であり、最も価値ある作品だった。


卒業後は諏訪伯爵の庇護の元、不自由なく暮らすが、既婚者である伯爵との不義を疑われ、家を追われ、寄る辺のないレダは街娼に身を落としていた。

マドモアゼル・レダは、どこか飼われている女を印象付ける彼女を少し揶揄した呼称であり、征矢はこの呼び名を嫌っているようだ。


人々から、崇められながらも、貶められ蔑まれ、聖と俗、光と闇を内包するレダ。

他者からの熱のこもった想いを受け取らず、どこか厭世的な態度を貫き多くを語らない。


タイトルにある女獣=レダのことであるが、このタイトルだとあたかもレダの心理が緻密に書かれているような想像をしてしまうが、レダは多く語らず、あまり感情や表情の読み取れないミステリアスな人物として描かれている。

どちらかというと、レダを取り巻く人々の「心理」を描いているので、もしこのタイトルを正確に記すのであれば、「女獣を取り巻く人々の心理」とでも表現できそうだ。



愛の絶対化


『女獣心理』には、「ソヤ、御身を愛す」*1 人々が数多く登場する。

語り手の塁、婚約者の沙子、伯爵、塁の友人・佐治。

それぞれの人物がそれぞれの在り方で、征矢を愛している。


塁は、征矢を沙子に初めて紹介された折、むしろ彼女に、不健康そうなコミュニケーション能力の低い、少年のような要望の女という否定的な評価を下している。

しかし婚約者・沙子の征矢に対する崇拝とその熱量にあてられはじめ、沙子を通じて征矢のすべてを愛するようになる。それは彼の婚約者以外の女を愛してしまった罪悪感を軽減してくれる唯一の手段であったのかもしれない。


特筆すべきは、塁と沙子の彼女への執着ぶりだ。

沙子は、征矢の後ろ暗い過去や伯爵との関係を知らず、ただただ純粋に征矢の恐ろしく鋭利な美意識や才能を愛している。寝ても覚めても征矢。塁との結婚式が近づいても征矢の話ばかり。

一方、塁は結婚祝いの晩餐会で、かつて関係のあった(と思われる)伯爵と征矢との諍いを目にし、伯爵に対して激しい嫉妬の念を抱く。その激情を自身の内側に認めて、征矢を愛していることを自覚する。

だが、二人は物語の終盤になるまで、沙子の饒舌且つ一方的な想いを述べる機会こそあれ、語り合うことも、すり合わせることもないが、この二人の結びつきを強固にするのは、愛を絶対化するために征矢は、不可欠な存在と言えよう。



自己愛を完成させる方法


塁と沙子が新婚旅行から帰ると、征矢は肺炎なのか衰弱しており、身を案じた二人は彼女を無理やり入院させる。入院費用を塁が肩代わりしたことで、沙子の母(塁の義母)は快く思わず、彼女が街娼であったことやいかがわしい素性の女であることをあげつらい、実の娘にはそのことを直接伝えず、塁にのみ不快感をぶつける。

塁はこの話を1人では抱えきれず、征矢が病気で臥せっている病室で沙子に話し、実は目を覚ましていた征矢にも聞かれてしまう。


征矢はその後入院していた病院から、二人に宛てた手紙と、命と同等に大切にしていた白鳥とレダの絵画を売った金で工面した入院費用を置いて、行方をくらましてしまう。


伯爵の庇護や愛から逃れ、

二人の友人からの崇拝からも逃れた、

征矢。


彼女は何から逃げたかったのか・・・。


ひょんなことから、征矢の潜伏先を見つける塁だが、伯爵と揉めている現場をまた目撃してしまう。晩餐会の夜以上に、彼女は伯爵を殺さんばかりの苛烈な諍いであった。


彼女は何から逃げたかったのか、何を遠ざけたかったのか。


それは、”自己愛”を毀損するもの、すべてから逃れたかったのだと思う。


伯爵との不義の噂や、その妻からの侮蔑、マドモアゼル・レダとして呼ばれること。

心を許した友人である塁と沙子の母がそういった征矢の素行を不快に思っていること、塁との関係性を疑っていること。

これら全てが、彼女の”自己愛”を穢し、創造性に疵をつけるのだった。


征矢にとって”自己愛”とは、芸術性や才能を極限まで高めることが出来るもの、彼女を彼女たらしめる根源なのだから。

そして、絵画に描かれた美しいレダのように普遍的で完全な美を生み出すために必要不可欠な”自己愛”を守るため、彼女は他者との関わりやしがらみから遠い、彼岸を選ぶしかなかったのだ。


征矢は命を絶つ前に彼女の優しさをもって、伯爵を鋭利な刃物で心臓を一突きしている。

レダに絡みつき情交を果たすゼウスの化身・白鳥の役割であることを伯爵に許可したのかもしれない。





引用元:

*1 講談社文芸文庫 『女獣心理』 野溝 七生子

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