世界は善で満たされている
- Naoko
- 2021年10月17日
- 読了時間: 5分
更新日:2022年5月27日
執筆者:Naoko
のっけから何を言っているんだと思われるかもしれないが、善意で満たされている世界のお話をしたい。
世の中、生きていれば不条理なことや嫌なことは数多あるし、そんな経験したいとも思わないのに経験させられているという人は少なからずいると思う。
「誰かが経験したから」、「ありふれたことだから」と、自身を納得させよう言い訳をしてもその哀しみが水蒸気のように蒸発するわけではない。

心が折れそうな胸が締め付けられる思いや、辛酸を舐めて這いつくばって来たその道も自己の糧になる場合もあるが、度が越せば、自らを責めて、逃避する人、引きこもる人、そして自死を選ぶ人もいるかもしれない。
もしあなたが今そんな状態ならば、まずは数回深呼吸してから、目を瞑ってみてほしい。
心臓からグッと、せりあがってくる哀しさが、胸から喉を通って口へ、そして鼻の奥がツンとし、最後に瞳まで到達したら、こらえずに涙を溢してほしい。
そして、少しだけ落ち着いたら自分にとって安心できる部屋で、少し砂糖を加えた温かいミルクティーを飲みながら、吉本ばななの『吹上奇譚 第一話 ミミとコダチ』を是非、読んでみてもらいたい。
この物語は、2017年に幻冬舎から刊行された吉本ばななの一番新しい小説のシリーズ。
『吹上奇譚 第一話 ミミとコダチ』 2017年10月刊行
『吹上奇譚 第二話 どんぶり』2019年1月刊行
『吹上奇譚 第三話 ざしきわらし』2020年10月刊行
現在、第三話まで刊行されている。
ミミとコダチは、吹上町という迷信や不思議な生き物が生息している吹上町に住む二卵性の双生児。
二人が幼かった頃、両親は事故に遭い、父親は事故死、母親は眠りながら徐々に身体が衰弱していく「眠り病」という不思議な風土病にかかっていて、母親の遠縁のコダマさんというアイスクリーム屋を経営している夫婦が二人を育ててくれた。
男勝りだけれど不条理な出来事にくよくよと懊悩するミミ、女の子らしく綿菓子のような雰囲気だけど実は怪力のコダチ、二人は双子だけれどだいぶタイプの違う女の子。
18歳になって町を離れた二人だったが、ある理由からコダチは突如姿を消し、途方に暮れたミミは占い少女と死んだように眠る老婆の店を訪れる。
占いの少女と眠っている老婆もまた見た目こそえど姉妹だという。予知能力、リーディングなどの特殊能力を使って、コダチの行方やこれからミミの人生で起こることを伝えてくれる。
占いの館で得た助言をヒントに、ミミは吹上町で起こる様々な出来事や、人間なのか人間じゃないのかわからない人々、墓場に現れ襲い掛かってくる屍人など、小さな町で奇妙な人々と、奇妙な出来事と関わり合いながら、コダチを探し続ける。
言葉にすると消えてしまいそうなのだけど、例えるなら『ツインピークス』と『コジコジ』を足して二で割ったような世界観といえば、わかりやすいだろうか?
吉本ばななの物語は、どれも平易な言葉を用いているのに恐ろしいほどに美しい情景が読者の前に広がっていく、良い魔法使いによって書かれた魔法の本。
不安定だし、不完全だけど、出てくる人々が彼らなりのやり方で、協力してくれて、ミミはその物語の中で、皆の「善意」を徐々に受け取ることができるようになっていく。
・可愛らしい女の子なのに異常に怪力な妹
・父の死後、意外に奔放な恋愛をしていた、眠り病の母
・死者たちに素敵な野の花のアレンジメント供え続ける墓守の青年
・ワウワウと鳴き声を発する『美女と野獣』の野獣のような地主
・二人のことを愛しながらも、束縛してはいけないと感じ自分たちの思いを封じるコダマ夫妻
「受け取ること」を受け入れる
どこか欠けていて、それでも美しい人々の思いや行動で、満たされている吹上町。
両親の自動車事故後、ミミとコダチを育ててくれたコダマ夫妻について、序盤でミミは、私たちのことを疎ましく、お金のかかる厄介者と感じているのだろうと思っているのだが、後半での描写はこうだ。
『コダマさんの店には、アイスを変えない子供のための特別な通貨がある。
お手伝いをしたり、お年寄りのために買い出しをしたりして、それを証明できるサインや写真を持ってきたら「1ボル」もらえる。3ボルでアイスのシングルと引き換えになる。この通貨はしだいに大人にも広まり、大人までお金を払わずにボルで払うことがよくある。
(中略)
アイスが売れるたび、世の中がちょっとすてきになっているわけだ。』*1
そして、ミミがしんみりとコダマさんに言うセリフ。
『アイスの店って、夢だね、溶けていく儚い夢を売る店。ボルは善なる夢の単位。』*2
きっとこの「ボル」のシステムは、ミミが子供の頃から取り入れられていたはずなのに、本当の子供ではないから、夫妻のことをどこか醒めた眼で見ていて、彼らが勝手にやっている仕組みとしてとらえていたと思われる。
前半での夫妻の描き方は、どこか突き放したような冷たさがある。
物語後半では、ミミの思考の片隅に冷たく追放されたコダマ夫妻だったが、彼らの心情やアイスクリーム屋の「ボル」の取り組みにフォーカスが当たる。
二人を本当の子供のように慈しんでいたコダマ夫妻のとてつもなく大きくて温かい気持ちや、「ボル」に象徴される「善」に、実はこの町は満たされていたんだ、ということが制御弁を一気に解放した水門から溢れ出る水の流れのように理解していくミミの様子に心が打たれる。
「善意」がない世界に住んでいるのではなく、果たして今、自分自身は誰かや社会の「善意」が今受け取れているか、それを拒否していないかに目を向けてみるのもいいかもしれない。
不完全でも生きていて、誰かに何かを与えられるし、受け取ってもいい。
コダマさんのアイスは、「愛す」なんだな~と、日本語が母語な私はしみじみ感じたのだった。
引用元:*1 ,*2 幻冬舎 『吹上奇譚 第一話 ミミとコダチ』吉本 なばな
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