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落ちると決める勇気

  • 執筆者の写真: Hiroko
    Hiroko
  • 2022年3月31日
  • 読了時間: 3分

執筆者:Hiroko


私が赤江瀑の作品と出会ったのは実はかなり遅く、たしか30歳前後だったと思う。

知り合いの出版社の方から読んでみたらいいと紹介されたのが、以前のコラムにも書いた『花夜叉殺し』だ。


まんまと赤江瀑の沼にハマり、貪るように読み漁っては現実の世界に戻りたくないとまた本に身を沈める時間を過ごした。

大人になってしがみつくように小説を読んだのは、久しぶりではなかっただろうか。



この時期は実生活で少々悩みを抱えていたときで、日常から目を背けるように赤江爆の世界に逃げ込むことに多少の罪悪感を感じていた。

しっかり現実を見据えなければいけないという焦りと、小説の世界が激しくせめぎ合い、本を投げ出したくなる日もあれば、片身のように握りしめる日もある。


いまになって思い返すと、正反対のベクトルへ揺さぶられるギリギリの精神状態こそ赤江爆を読むのにふさわしかったのではないかと思う。

赤江爆の小説は、常に一瞬の情熱と葛藤を描いているのだから。



踊るように流れる文章


そんな中で幾度と読み返したのが『花曝れ首(はなされこうべ)』だ。流れるように美しい方言が鮮やかで、文章が華麗なのだ。


(あらすじ)

男に裏切られた主人公の篠子は1人で夏の山道を歩いていた。

いや、3人で歩いている。

”春之助”と”秋童”という若衆の気配が一緒についてくる。

傷心の篠子にとって、2人の妖と会話をしながら山道を進むこの時間だけが癒しだった。

2人の妖は、江戸時代に1人の男を取り合った色子であった。

”秋童”の顔には無数の傷、ある惨劇が語られるのだが...


グロテスクになってもおかしくないストーリーを、方言の会話が続くことで耽美な優雅さが感じられる。


「やめときやす。また薄情男のこと、想い出してはるのやろ。ここにきたら、もう忘れなはれ。ここは浮世の行きどまり。苦界の憂さのつきる所や。あだし、はかない、化野と、ひとはいうけど、生ま身のいのち捨てる場所や。もうさっぱり執着払うて、思い切っておしまいやす。」​​*1


「地獄が、怖うおすのんか?修羅が、そんなに恐ろしおやすか?好いた男と見る修羅や。落ちる地獄や。おちとみやす。」​​*2


何が正しいのかは悩んだってわからない。

その時々によって、立場によって、正解は変わるものだということを、私たちは傷つきながらようやく学んでいくものだが、春之助と秋童は自らの信じたい道へと背中を押してくれる。


出口が見えない、道から外れた事柄で悩んでいる方がいたら、いちど『花曝れ首』の世界へ浸ってみてほしい。


落ちると決めることが自分にとっての正解となるとこともあるし、他人から見るとくだらないことに情熱を注ぐことが使命になることもある。


2人の美しい妖が、ふわりと迷いの先へ導いてくれる。





引用元:

​​*1​​*2 河出書房新社『花曝れ首(赤江瀑の世界より)』赤江瀑


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