麻薬の庭
- Hiroko
- 2021年12月2日
- 読了時間: 4分
執筆者:Hiroko
人間の官能と意識のせめぎ合いを書かせたら、世界レベルの評価をされるべきだと思うのが、赤江瀑だ。
赤江作品ではじめて読んだのが『花夜叉殺し』。ミステリーと言われることも多い赤江作品だが、彼の作品はミステリーではない。
麻薬のように常習性があり抜け出せなくなってしまう小説だ。
はじめて『花夜叉殺し』を読んだとき、とんでもない作家がいるもんだ!と衝撃を覚えた。

『花夜叉殺し』は、京都の郷田邸、通称”花屋敷”と呼ばれる広大な日本庭園が舞台になっている。
数十年前、屋敷の女主人に心を寄せ無理心中事件をおこした庭師がつくったその庭は、一見あまりにも乱雑で適当に植えられているように思われ、庭師から見れば花木がかわいそうになるほどだったが、ある秘密が隠されていた。そこは入った人を、狂わすおそろしい庭だったのだ。
主人公の一花(いっか)は庭師見習いの19歳。父は庭師で母は芸者、妾の子だ。
一花という女々しい名前をからかわれたり間違われるたびに、拳をあげては母を悲しませた。
「お前は庭師の子やねんで。花は、庭師の丹精するものやないか。花一輪。一番花。花の先駆け......つまり言うたら、一の花や。百花絢爛、咲く花の数は仰山あっても、二や三の花やない。一の花や。一番先に咲く花やで。どこが不足や。立派な素晴らしい名前やないか......」*1
父のような庭師になれと幼い頃から言われていた一花は、当然のように庭師の道に進む。
夜の世界でしか生きられない母
前半でもっとも印象的なのは、ある昼間、銀閣寺の庭で交わす母と一花との会話だろう。
この庭は月の庭と言われる夜の庭で、月がのぼると砂がいっせいに輝き出して明るくなるという。
いつか夜の庭を見てみたい、もし見ることができたら死にたくなるかもしれないと母が幼い一花に語るシーンだ。
一花は、厭や!と叫んで母に抱きつくが、母の死に恐怖を覚えたからではない。
芸者の母が「月子」という源氏名で、夜の街でしか生きられない孤独や淋しさが感じとれて、母が幸せではないことが、わかってしまった気がしたからだ。
陽のあたる世界では、うまく生きていけない人がいる。
夜の世界のように、刹那的で本能的な様を生業とする場所でしか自分を輝かす術を知らない人がいる。一花の母親はそういう女性だった。翳りのある美しさを纏っていたのだろう。
もっと幸せな生き方もあるだろうに..と思う方もいるかもしれないが、サブカルにどっぷり浸かり地下で遊んでいた若かりし頃の自分と若干重なる部分があり、月子の嘆きには妙に共感してしまう。
赤江作品に魅力を感じる人は、そういった方が多いはずだ。
入ってへんと、落ち着かん......入っていると、狂うてくる
花屋敷の庭は、ある実業家の妾の屋敷の庭だ。
この庭は眺めて楽しむためにはつくられていない。
庭の一角にある四阿に座れば、一年中耐えることのない花木の芳香が楽しめるよう工夫されている。
複雑に絡み合うこの香気は、女主人をもだえ狂わすほどで、色んな男を連れ込んでは四阿で楽しんでいたという。
妾の女主人に惚れ込んでいたのが、この庭を作った庭師だ。
女主人の行動は、庭師の気持ちを知ってのこと。
今も時々さみしそうに、パチンパチンと枝を切るハサミの音が庭に鳴り響くと言う。
この庭の秘密を探るため一花の義理兄の庭師の篠治は、現在の女主人郷田曄江(あきえ)と毎夜花屋敷で密会をしていた。
それを知った一花は、毎晩花屋敷に忍び込む。その行動はどんどんエスカレートしていくのだが...
ある日篠治は、一花にあの庭のことをこう語る。
「入ってへんと、落ち着かん......入っていると、狂うてくる。言うたら麻薬みたいなもんや。そうや。あれは麻薬の庭や。」*2
この言葉は、赤江作品そのものを表しているのではないかと思う。
『花夜叉殺し』を読むたびに花木の配置や混ざり合う芳香を想像してみるのだが、人を狂わすほどの香りはいまだにわからない。
きっと、百合、沈丁花、クチナシ、金木犀、薔薇、ライラックなどの香りの強い花が並んでいるはずだ。
一花の父が母のために庭を作るとしたら、きっとこんな庭ではないだろうか。
引用元:*1*2光文社文庫『花夜叉殺し』赤江瀑
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