命知らずの屑鉄拾い
- Hiroko
- 2022年4月28日
- 読了時間: 4分
執筆者:Hiroko
タイトルに〝三文オペラ〟と付く作品を3つ知っている。
一つ目は、武田麟太郎の『日本三文オペラ』。
1932年(昭和7年)に発表された庶民風俗のリアルを描いた小説で、全体的に支配階級への不信感や無力感が漂っている。プロレタリア文学か否かのテーマとして大学の課題図書にされることも多い名著だ。
二つ目は、開高健の『日本三文オペラ』
武田麟太郎と同じタイトルの小説だが、1971年(昭和46年)に発表された。
大阪市城東区のコリアンタウンに住む屑鉄拾いで生計を立てていたアパッチ族と呼ばれた人達を描いたものだ。(本コラムは開高の『日本三文オペラ』をメインに書いていく)
三つ目は、ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトの芝居『三文オペラ』。
乞食と泥棒と淫春婦が登場し、ブルジョワ社会を痛烈に風刺した作品。ブレヒトの三文オペラは、イギリスの作家ジョン・ゲイの『乞食のオペラ』を底本にしている。
三文とは極めて安価なものや、粗悪、低俗であることを指す言葉だ。
文(もん)は江戸時代以前の最小貨幣の単位で、それがたった3つしかないことから値打ちが低いという意味で使われている。

開高健が描いた、命知らずの屑鉄拾い
日本が被爆国となった昭和20年、広島長崎に次いで終戦の前日に徹底的な集中攻撃で破壊されたのが、大規模な兵器工場があった大阪だ。
日本がいよいよ戦後の空気から脱しようとしていた昭和30年頃、朝鮮戦争などの情勢で鉄や金属の価格が急激に高騰した。
大空襲にあった工場跡は10年経っても荒れ果てていたが、鉄の塊が埋まっている広大な廃墟に目をつけたのが、貧困や差別に苦しんでいた在日コリアン達だった。
荒地の対岸に集落を構えていた彼らは、深夜になると産業廃棄物で汚染された川をいとも簡単に渡り、鉄屑をかき集めては売っぱらった。
命知らずのその姿は、たくましさや勇ましさをも感じることからアメリカの先住民を倣っていつしか〝アパッチ族〟と呼ばれるようになり、一部のメディアを賑わせた。
「大阪市城東区鴫野西二丁目」
ここがかつてのアパッチ集落で、現在も在日コリアンの住民が暮らす割合が高い地域だ。
開高健は、ノイローゼを晴らすため泥棒集落に入ったと語っているが、その時の経験を元に書かれたのが『日本三文オペラ』だ。
終戦は開高が15歳の頃。
戦後なんとか大学へ進んだが、パン屋や薬局に出版社の翻訳に女性たちがアメリカ兵に出す手紙の翻訳など金になることならなんでもやって食い繋いだ。
開高の作品にはどれも生きにくさとアウトローが重なり合っているが、それは体験の爪痕なのだろう。
以前、夏の闇のコラムで開高夫人のことに触れたが、
1人と孤独を好み、生臭さがないと生きた心地がしないのが彼の本能なのだろう。
芥川賞を受賞後、うつ状態になった彼の精神を救ったのが、取材のていで訪れた清潔とは言い難い泥棒集落だったのは、開高の作品を読んだことがある者なら納得だろう。
となれば、夏の闇の主人公の男もそうだったように、日本三文オペラの主人公フクスケにも開高健自身の影が常に見える。
執筆のために取材をしただけでは書けない迫力や生臭さがある。
「彼はいくつもの大皿や洗面器やバケツをならべ、どの容器にも湯気が立つかと思えるほど新鮮な、血と分泌液にまみれた牛の内蔵をあふれるばかり盛り上げて
「えらいさしでがましいが、今日はご新規さんおいでやから、ひとつわいに奢らせてもらいまひょ」(中略)結局ここにないのは牛の角と皮とふつうの肉だけで、あとは全部そろっていた。」*1
「毎朝どこかの屠殺場から豚の子宮を生の羊水のなかにきざみ混んだセキフェを石油缶につめて売りにくるリヤカーの男の呼び声に答えるものも一人、二人と減っていった。」*2
”臭い”を感じるのだ、この小説は。
『日本三文オペラ』は昭和46年に出版されました。今日の観点から見ると差別的表現ないしは差別的表現ととられかねない箇所がありますが、作品の意図は決して差別を助長するものではないことや、作品のもつ文学性や芸術性を尊重し、あえて底本通りの言葉で引用させていただきました。読者様各位ご賢察いただきますようお願いします。
引用元:
*1*2新潮社『日本三文オペラ』開高健
参照元:
講談社文芸文庫『日本三文オペラ』武田麟太郎
光文社古典新訳文庫『三文オペラ』ベルトルト・ブレヒト(谷川道子 訳)
法政大学出版局『乞食オペラ』ジョン・ゲイ
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